京都

霊鑑寺の春 哲学の道

特別公開中の霊鑑寺(左京区鹿ケ谷)を訪れました。 毎年、椿の見頃と紅葉の美しい頃、公開されます(今年は4/6まで)。 昨年も参りましたが、やはり今年も心洗われる美しい椿を拝みたい。椿参拝です。 あまりに美しい椿を見ていると、不思議だなぁ…と...
4.スタッフ便り

西小路通り

花園大学キャンパスの西側を南北に通る道が西小路通である。南から太子道までは広く快適な道だが、大学付近は依然として狭隘な道だ。もちろん一方通行である。 ずいぶん以前から拡幅計画があるようだが、最近はあらかた用地買収も完了したようで、丸太町通り...
美術館・博物館

乾山の芸術と光琳 -京都文化博物館-

京都文化博物館にて、4/13(日)まで、-乾山の芸術と光琳-展が開催されています。 ご存知のとおり、この尾形光琳(1658-1716)・乾山(1663-1743)の兄弟は、京都の呉服商雁金屋の生まれで、兄弟共に非凡な才能を発揮した、当時を代...
美術館・博物館

吉野懐古 -北村美術館-

いつも楽しみにしている美術館の春の展示が始まりました。*6/8(日)まで 昨年は「山笑ふ」。今年は「吉野懐古」。 季節とテーマにそった茶事を想定した素晴らしいお道具の数々が毎回楽しみな美術館です。 吉野といえば、いにしえから人々が様々な思い...
京都

百花苑 -天龍寺-

この冬の京都は雪が多く、ここ天龍寺の庭にも春の気配が感じられるようになり、百花苑の花々が目を開き始めました。これからの庭内散策が楽しみです。 現在、天龍寺では下記のものが楽しめます。 椿・坐禅草・馬酔木・山茱萸・桃・木瓜・梅 これからは… ...
美術館・博物館

陶 雪月花・人と動物の意匠 -樂美術館-

3/30(日)まで、樂美術館にて「陶 雪月花・人と動物の意匠」と題して新春特別展が開催中です。 楽焼というと、あのぽってりとまるい感じの、ろくろを使わないお茶碗、そして色は黒や赤のみを思い浮かべるかもしれませんが、実は懐石道具から香炉、香合...
滋賀

美しい琵琶湖 -春の夕焼け-

高校生の頃、漕艇部に在籍していた私は、今も琵琶湖を見るたびに、美しいと思う。 日本一の大きさを誇る琵琶湖は、季節や日、そして時間によって、全く異なる顔を見せる。 春分の日を迎えたとはいうものの、まだ冬の名残を見せ、琵琶湖にしては荒い波の打つ...
京都

花の共演 -京都御苑-

この季節だけ、椿(落椿も綺麗なままに…)、桃、梅、しだれ桜、水仙などの共演が京都御苑で見られます。 花の咲かない真冬の時期と違い、御苑は散歩する地元の人、観光客でにぎわいます。 まさに春、様々な鳥のさえずりもかわいらしく、心も明るくなります...
4.スタッフ便り

改築中

現在、築28年になる私の実家では、改築作業の真っ最中です。トイレ、風呂、キッチン、リビングと順に作業が進みます。 先日、久しぶりに実家へ帰ってみると、家族団欒の場であった居間が取り壊され、柱がむき出しの状態になっていました。 ふと懐かしい思...

アジャンター石窟寺院その5 -インド-

紀元前1世紀頃に開窟されたという第9窟をご紹介。 この時代の礼拝の対象はストゥーパで、内部は下のとおり。入り口(上の写真)は後から造られたのでしょうか、仏像の彫刻などが美しくその姿をとどめています。
本の刊行

あなぐま寺庭の講演 於:妙心寺

建仁寺派瑞陽寺の寺庭である伊賀奎子さん(弊所発行『あんたはあんたのままでいい 寺庭奮闘記』の著者)が妙心寺本山で行なわれた寺庭婦人研修会で講演を行なった。 伊賀さんは住職と共に山口県の過疎地にある山寺を守る傍ら、旺盛な好奇心でユニークな活動...
禅の寺

蕗の薹(フキノトウ)

墨跡の撮影ででかけたお寺にて、蕗の薹をみつけました。 雪解けの、ようやく顔を出す頃とは違って、これだけ暖かくなってくるとかなり成長しています。 ほろ苦い春の味、てんぷらにして食べたら美味しいよなぁ…と一人しみじみ眺めます。 春の寺には、最近...

高岡 瑞龍寺 2

高岡 瑞龍寺1はこちら 総門を入り山門を正面に立つと、左に禅堂、右に大庫裏がシンメトリックで美しい。 回廊をめぐると、この禅堂や大庫裏をめぐることができる。 件の禅堂であるが、入堂は禁じられているので前門から覗いただけであるが、私が知ってい...
京都

六波羅蜜寺 -その1-

皆さんも学生時代に教科書で初めてご覧になった時、ハッと引きこまれませんでしたか? どうしてもあの写真が目に、そして心に焼き付いて離れない、唱えられた「南無阿弥陀仏」がそのまま阿弥陀仏の姿となって口から現れ出ている、空也上人立像(重文)を初め...
自坊つれづれ

陶工に号をつけるその2 -山寺のある一日-

陶工に号をつける その1→こちらを読まれてから本日のブログをどうぞ! わたしが、“岱嶺”という号をつけた青年陶工が、なぜ“岱玲”と改めたかといういきさつは、ザッとこんな話しである。 彼は、“岱嶺”という号を、さっそく、九州伊万里の師匠のもと...