藤田琢司(禅文化研究所所員)著
平成19年11月20日発売
四六判・約252頁
達磨大師は海を渡って日本にも来たという。その伝説資料を発掘する。
【もくじ】
◇オーソドックスな達磨の伝記
◇達磨、碁を打つ老僧に出会う
◇達磨、論語のにおいを嗅ぐ
◇達磨、手足を失う
◇達磨、まぶたを切り落とす
◇達磨、前歯を打ち折られる
◇達磨、日本に渡来する
◇達磨が日本に来た理由
◇達磨、松島の風景を眺める
◇達磨、聖徳太子と和歌を交わす
◇達磨は観音の化身? 文殊の化身?
◇達磨、栄西禅師として誕生する
◇達磨、動物に変身する
◇達磨、出羽の国におもむく
◇達磨の袈裟
◇二つの達磨忌
本書より--------------------------
【「おあし」のない達磨】
職業的女性作家の第一号といわれる樋口一葉は、新しい五千円札の肖像画にも選ばれ、その凜とした面構えも、われわれにとって文字通り身近なものとなった。
一葉は戸籍名を「奈津」と言った。最も広く知られる「一葉」の雅号は、小説家としてのペンネームである。歌人としては、本名の「夏子」を使用していた。
一葉の号の由来について、一葉の通った歌塾「萩の舎」の旧友であった三宅華圃が次のように語っている。
何でもその時分、号が何かなくちゃいけないといって、一葉としたというのですね。大変いい名じゃありませんか。それは桐の一葉ですか、と私が申しましたら、そうじゃないですよ。葦の一葉ですよ。達磨さんの葦の一葉よ、おあしがないからと小さい声で、これは内緒ですよといいました。
「おあし」とは、言うまでもなくお金のことである。貧乏に苦しんでいた一葉が、葦の葉に乗って揚子江を渡ったという達磨大師の故事と掛けて、「達磨さんも私も"おあし"がない」と、自嘲的な意味を込めて使い始めた号だというのである。
「おあし」に苦労しながらも、一葉は精力的に執筆を続けた。しかし明治二十九年(一八九六)、肺結核によってわずか二十四年の生涯を閉じることになる。その一葉が、自分の顔が紙幣の肖像として使われていると知ったら、どんな顔をするであろうか。
本書「伝説03 達磨、手足を失う」より